野馬追の歴史
相馬野馬追は、今から一千有余年前(鎌倉開府以前)に、相馬氏の祖である「平小次郎将門」が関八州(北関東八ヶ国)の兵を集め、領内の下総国葛飾郡小金ヶ原(現在の千葉県松戸・流山付近)の牧に放った野馬を敵兵に見立てて追った軍事訓練であり、また捕らえた馬を相馬氏の氏神である妙見の神前に奉じる祭事とした事に始まると言われています。
その後、元亨3年(1323年)相馬氏は、下総国から源頼朝より奥州合戦の功績により授かった相馬家の領地である奥州行方郡(現在の福島県相馬地方)に移り住み、以降相馬家代々にわたり、江戸期など一切の軍事訓練が締まられる中、
「野馬追」は神事という名目で明治維新まで脈々と続けられました。
1868年の戊辰戦争後新政府となり、1872年に旧相馬中村藩内の野馬がすべて狩り獲られ、旧藩政時代に行われていたスタイルの「野馬追」は消滅しましたが、
1878年に多くの人の尽力により時代に合わせた「野馬追」を行い復活をみました。
旧藩制時代の放牧が盛んで野馬を敵兵として追った風習は、数頭の裸馬を騎馬武者が追いたて、小高神社の特設の竹矢来の中に追い込み、
これを浄衣を着た御小人が素手で捕え神前に献ずる「野馬懸」となり、軍事訓練としての意味合いを強く残した騎馬武者による「甲冑競馬」「神旗争奪戦」など、
将門以来の伝統を時代返還に反映させ、一千有余年現在も地域の繫栄と安寧を祈る神事として連綿と行われています。
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